プチ・シニアの明るいひきこもり生活

はたして小泉今日子の入れるコーヒーを美味しいのだろうかと思いながら「マザーウォーター」を見る

      2016/01/31

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 あまり認めたくないのだが、私はせっかちである。

 ただ、人前ではそうではないふりを結構している。いろいろな事を鷹揚に構えている風に見せるためにだ。だから、仕事は締め切りの間際まで手をつけない(性格には、手をつけなかった、今は無職だから)。

 「あー、あの報告書?あれはこれから、締め切り明日だろ?」そういうセリフを何度も口にしていると、聞いた人たちは、こう思ってくれる。「◯◯さんて、大物だなぁ」って、たぶん。少なくとも、締め切りの何日も前に完了しておかないと不安でいたたまれない、っていう人よりは、鷹揚に見えると思う。

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 だから、締め切りのギリギリまで仕事に手をつけないという「癖」がついてしまった。もしかしたら、何かの事情でその仕事が「不必要」になる可能性がゼロになるかもしれない、というのが私の言い分なのだが、自分も含めて誰もそんなことは信じていない。

 ある時、同僚に「締め切り間際にならないとやる気にならない人は、ヤバいって思った時に出るアドレナリンが忘れられないんですよ、また、アドレナリンが出た状態を経験したいって無意識に思っているんですよ。」って言われた。

 なるほど。確かに、火事場の馬鹿力じゃないが、ギリギリになると自分の実力以上のものが出ている気がする、いや、実際は出ていないのかもしれないかもがアドレナリンがそう錯覚させている可能性はある。自分の実力以上のものが出ている、言い換えれば、自分はほんとはもっと出来るんじゃないっていう感覚は、そりゃぁ、中毒にもなるだろう。

 話がまったく「マザーウォーター」から離れていってしまった気がするが、本当は何が言いたいかというと、この映画を見て、自分の「せっかちさ」を再認識したということなのだ。

 この映画を見ていると、そのシーンはそこまで時間をかける必要があるのかと思う。何かの場面があって切り替わるまで(カットが変わるまで)、すごく時間がかかる。「・・・・・・・・・・・、カット」って言う感じだ。会話も遅い。そういえば昔見た森田芳光監督の「それから」で会話のやりとりがすごく遅かったのを思い出した(どんな映画か思い出せないけど)。その時には、きっと明治時代とかってこのくらいのリズムで世の中が動いていたんじゃないかなって思った。

 今回も、現代のせわしさに慣れてしまっている自分に気づいたりした。というか、これはたぶん自分だけではない。この映画のテーマが「スローライフ」と思われるので、これは現代の「みなさん」に向けたメッセージなのだと思う。私は、しかと受け止めた。

 「せっかち」でいいことは、あまりない。そういう気がする。例えば、民主主義だ(おっ?)。民主主義は本質的に手続きを遅らせるためのシステムだから、せっかちに推し進めようとするとその土台が壊れている(内田樹とかの受け売りだけど)。「決まらない」事のほうが、「悪い方に決まる」よりもいいような気を「せっかち」は引き起こす。
恋愛もよくない。言うまでもない。

 今、仕事をやめて主夫生活をしている。と、働いていた時よりははるかに時間がある。家事があるとはいえ、やはり時間がある。それなのに、長年染み付いた「せっかちさ」は抜けていない。掃除など、最後のあたりはいつも手抜きになる。まぁ、掃除は好きじゃないからしかたがないか。

 例えば、昼飯だ。1人で食べるから、ゆっくり時間をかけて食べてもいいのに、気が付くと妙にあせって食べている。そうする必要がないのに、早く終わらせようとしている。まさに、「せっかち」ってそういう定義だと思う。

 映画の中で、もたいまさこが1人で食事を食べるシーンがある。彼女はゆっくりと時間をかけて料理し、テーブルに綺麗に膳をならべ、ゆっくりと味わって食べる。

 間違いなく、この方がいい。私なんか仕事に追い立てられているわけじゃないんだから、余計にそう思う。


 タバコも、せわしなく吸っている自分に気づいた時、いかんなぁと思った。

 
そして、「今日も機嫌よくやんなさいよ」って言えるような人物に私はなりたい。

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