プチ・シニアの明るいひきこもり生活

オヤジひとり、ベトナム旅日記(13)

      2015/08/31

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(注:この文章は初めてベトナムに行った2006年の旅の記録です。ベトナムは急速に発展しているので、当時とはかなり大きく違っています。特に、物価等は大幅に変わっていますので、そのあたり考慮の上お読み下さい。)

 前記事 オヤジひとり、ベトナム旅日記(12)

 ホテルのスタッフは妙に愛想がよかったが、部屋自体は最低だった。おそらく普通は高くても10ドルだろう。明日は、違うホテルにうつることにする。シャワーを浴び、地図を確認し、7時少し前にホエンキエム湖に向かった。

 着いてみると、ホエンキエム湖は思ったよりは大きい湖だった。「このあたり」がいったいどこなのか、よくわからない。行ったり来たりして、仕方なく一番人が多そうな場所で待つことにした。

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 そういえば、名前を聞いていなかった。

 ハノイの7時はもう暗いし、かなり雨が激しく降ってきった。正直って私の方が彼女を見つけられる自信はなかったので、向こうに気づいてもらうしかないなぁとなるべく街灯の下の明るい所に立っていた。あまりにも雨が激しくなったので物売りから傘を買った。やけにシャれた傘だった。

 7時半まで待ったが、彼女は来なかった。あるいは、会えなかった。すっぽかすような娘ではなかったから、何かがずれてしまったんだと思う。

 旅は基本的に偶然性によって成り立っているからしかたがないかもしれないが、今彼女に会えなかったことだけはすごく残念だと思った。悔いが残る。彼女と隣り合わせた偶然は、会って話をして完結する気がしたのだ。今回の旅をクロスワードパズルに例えると、1ピースだけ紛失してしまったような、そんな欠落感だけが残った。

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 あきらめて帰る途中、レストランによった。表のメニューを見ていると、店の男が話しかけてきた。一言、二言話すと、その男が「英語が日本人ぽくない」と言ってきた、「ありがとう、お世辞に応えて入ることにするよ。」と答え、店に入った。

 ビールを頼んだ。あまり冷えてない。ちょっと贅沢して、ステーキを頼んだ。ビールが飲み終わると、もう一本どうだ?と聞く。このビールはあまり冷えてないから、冷えているビールならお代わりする、と答える。わかった、と男は言う。結局出てきたビールは、触るとビンは冷えているが、中まではしっかりと冷えてはいなかった。ステーキも、まぁ予想していたが、日本の安いファミレス程度で全部は食べ切れなかった。

 食べている途中に、欧米人の女の子が入ってきた。店の男の子との会話が、聞くとはなしに聞こえてきた。

 あと一時間で空港に向かう。ベトナムで最後のビールを飲みに、そして、店員に別れを告げに来た。きのう、ここで夕食を食べたがすごくサービスがよく、父も満足していた。そんな話が聞こえて来た。

 支払いを済ませ店を出ようとして、傘を預けていたことを思い出し店員に持ってくるように頼んだ。傘を待つ間にその女性と目があったので、どこから来たのか、たずねた。

「アメリカよ」
「ベトナムではアメリカ人はあまり見ないよね。初めてアメリカ人とあったよ」
「たしかにまだベトナムに複雑な感情を持っている人は多いから、アメリカ人には私もあってないわ。」

 立ち話もなんだからと、傘を受け取った後も彼女のテーブルに座り、話し込んでしまった。

 彼女の父がベトナム戦争で戦ったこと。その時のベトナム人の兵士を探しにやってきたこと。あきらめかけていたら、最後の最後にそのベトナム兵士の家族に会えたこと(本人はすでに死んでいた)、父は心から満足したこと、など。

 できすぎだなぁ、と思ったが、彼女には「感動的な話だね」とだけ伝えた。彼女は頷きながら、ビールを口にした。

 彼女は、今韓国のソウルで英語を教えているらしい。仕事は楽しくて仕方がないとも言っていた。日本へも行きたいが、物価が高いのでなかなかいけない、韓国人も、日本人に対しては複雑な感情を持っているのがわかる、などなど。

 何度も私の時計を確認し、ぎりぎりまで話をした。最後の最後で店の店員に挨拶に行ったのを見て、ちょっと邪魔をしてしまった気もして、その間に引き上げてしまった。メールのアドレスも聞いたし、あとでそのことを謝るをできるだろう。

 30分くらいのことだが、当初約束していたベトナム人とは会えなかったかわりに偶然アメリカ人と面白い話ができたのは、運命の埋め合わせなんだろうか?

 そんなことを考えながら、私は今回の旅でで一番暗く、みすぼらしい部屋へと戻った。(続く)

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