プチ・シニアの明るいひきこもり生活

セントラル・パークのフリー・コンサートの思い出

      2015/08/30

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 1990年、初めてニューヨークに行った時には、毎晩ライブハウス廻りをしていた。Village Voice というフリーの情報冊子の舐めるようにみて、競馬新聞でも見るようにその日その日の候補を丸つけたりした。今日はブルースとか今日はレゲェとか今日はロックンロールとかね。

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 ちょうどセントラル・パークでフリー・コンサートが開かれる時期にも重なっていたので、2日くらいは行くことができた。残念ながら、私が知っているようなミュージシャンは出ていなかったけど、雰囲気だけは楽しんだ。後に書くけれど、今ではすごく規模が大きなコンサートになっているようだけれど( Centra Park Summer Stage というらしい)、この頃はまだのどかで、適当に入って最前列に行くのも簡単だった。たぶんステージだけで柵とかなかったんじゃないだろうか・・・。

 その時 Shinehead というミュージシャンを見たと覚えているのは、その数年後に”Jamaican in New York” (注1)がヒットして名前を思い出したからというだけで、ステージのことを覚えているわけではない。一番良く覚えているのは、大好きなRobert Fripp(注2) が出る日がニュー・オーリンズに移動する日で泣く泣く諦めたのだ。

 それから日が経って、2002年の夏、思うところあってイースト・ヴィレッジのアパートを又借り( sublet ) して1ヶ月ほど過ごした。その時、部屋の借り主の友人で、同じアパートの下の階に住むカップルがいろいろと気を使ってくれた。アート系の女の子ジェニファーとやはりアート系の男の子アダムのカップルで、男の子の方は足に大きなブリキのロボットのタトゥーをしていた。その女の子は、「彼は、偉かったのよ、これを我慢したんだから」褒めていた。素敵なカップルだった。

 ある日、ジェニファーが「セントラル・パークでフリーコンサートがあるから、一緒に行かない?ソニック・ユースがでるのよ。」って誘ってくれた。ソニック・ユースについては、名前は知っているくらいで殆ど聞いたことがなかったけれど、暇だから一緒に行くことにした。

 当日、彼らと地下鉄に乗りセントラル・パークにたどり着くと、そこにはあふれるばかりの人がいた。ソニック・ユースは地元出身のバンドだから、普段以上に盛り上がり多くの人達が押し寄せたらしい。11年前に見た同じ場所の同じフリー・コンサートとは全く違う雰囲気だった。

 以前にはなかった柵のような囲いまであって、果たして「会場」に入れるのかちょっと心配になった、これだけの人だかりなんだから。そんな私の不安をよそに、彼らはすたすたと歩いて行く。あれ、ちょっとそっち?

「このへんでいいかしら?」ジェニファーはそう言い、芝生の上にビニールシートを拡げた。そして用意してきたサンドイッチを拡げた。まもなく友人も飲み物や食べ物を持ってやって来た。

 気がつけば、私達の周りにもそんな風にビニールシートを拡げ、食べたり飲んだりしているグループがたくさんいた。

「そうなのか、コンサートに行くって、そういうことなのか・・・。」

 彼らは最初からソニック・ユースを見ようなんて思ってなかった、たぶん。ソニック・ユースの音楽が聞こえるところで、パーティ、あるいは、ピクニックを楽しもうと思っていただけだったのだ、たぶん。ついアーテイストの姿を確認しに行くかのような「コンサート」しか頭になかった自分が何かちょっと貧乏臭い感じがした。

ちょっと後悔しているのは、そうとは知らずに何も持って行かなかったことだ。彼らはもちろん、彼らの友人たちもみな何か食べ物や飲み物を持ってやってきた。いわゆるポットラックパーティーのイメージだったんだと思う。知らなかったとは言え、ちょっと申し訳なかった。もちろん、誰も責めはしなかったけどね・・・。

注1:あのポリスのスティングがソロになってからヒットさせた”Englishman In New York” のカバー。共に名曲。


注2:King Crimson の中心メンバー、かつ、ギタリスト。代表曲はこれ。凄すぎる。




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 - 消えそうな旅の断片

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