プチ・シニアの明るいひきこもり生活

チャレンジ・システムがもたらす功罪について考えるふりをした

      2015/08/30

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 バレーボールを見ていたら、チャレンジ・システムのことを説明していた。おぉ、今やバレーボルまで・・・。

 一番良く目にするのは、個人的には大リーグの試合だ。かなり頻繁に行われている。ただ、大リーグの場合、チャレンジする前に監督が自チームのスタッフに映像を確認させていたりするので、テニスのように瞬時にチャレンジするケースに比べて、「ずるい」感がずっと高い。あれ、判定の30秒以内とか設定したほうがいいと思うなぁ。

 そんなわけで、今回はチャレンジ・システムについて考えてみた。

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 まず、気になるのは、審判はどう思うのだろうということだ。自分が自身を持って下した判定の場合は、判定が覆されるということは、「あなたのミス」だとはっきり指摘されてしまう訳なので、当然内心は気持ちいいものではないだろう。

 ただ、審判があまり自信のない場合だって当然あるだろうから、判定が覆ったことで、チームの勝敗を決めてしまうようなプレーの時は、審判も内心ほっとするかもしれない。

 私個人は、こういうシステムはどんどん採用されたほうがいいと思う。試合が間延びするっていう批判もあるけど、テクノロジーの進化がそういう問題をすぐに解決できると思うし、そもそも1人の審判の誤審で勝負がほぼ決まってしまう(サッカーのPKとかね)というの、やはり納得しがたい。ワールドカップとか億単位の人が見ているわけだから、人類の英知と莫大な資金をつぎ込んでも解決すべき問題だと思うのだけれど・・・。

 それと、「審判の誤審もゲームのうち」っていう考え方があるのも分かるけれど、微妙な判定をしたせいで「脅迫」されちゃうような状況ってやはり問題だと思う。私個人は、余計なストーリーいらないから、すげぇ~っていうプレイ見せてよ、ってタイプなので、余計にそう思う。

 見逃された「ハンド」を「神の手」っていうのも、どうなんだろう?たしかに、面白いけど。

 さて、ここで、急に話は飛ぶ。

 以前、大変有能とされている(英語で言うと、”allegedly”)上司がいた。とても細かい人で、文書を回すと、ほぼ確実に訂正をいれて戻してきた。
 私は嬉しかった。だって、自分で見直さなくても、代わりに上司がやってくれるんだから。どうも、昔から校正が苦手だった。面白くもない文章を読み返すなんて、苦痛以外の何者でもないから。そんな訳で、パーソナル校正係を雇ったみたいでとても快適だった。

 ところが、そんな私とは考え方の違う人間もいた。彼らは、何度も見なおして、「上司からの訂正ゼロ」を目指して努力していた。彼らは、訂正されることが「自分の評価」を下げることだと考えていたようだ。更に、たぶんだけど、自尊心も傷つくと思っていたようだ。

 もう、分かっていただけたと思うけれど、上の「上司」がチャレンジ・システム、私を含めた部下が審判と考えてみた。

 そうすると、私みたいな審判は、すごく喜ぶ。責任がほとんどなくなるので、試合終わったらどこに飲みに行こうかなぁ、なんて考えることもできる。

 一方、野球のワールド・シリーズとかサッカーのワールド・カップの審判とかをやるのが名誉だと思っているような、上昇志向の強い審判の場合は、当然、チャレンジをかけられるだけで自分の汚点になると考え、なるべくその機会を減らそうと努力するかもしれない。

 うーん、世の中は圧倒的に後者のような人たちが多いに違いない。でも、私は前者も少なからずいて欲しいと思う。なんか、その方が世の中がギスギスしなくて住みやすくなるような気がして・・・。


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