プチ・シニアの明るいひきこもり生活
2015/08/30
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現在、「ひきこもり」生活をしている。普段ニュースなので取り上げられるこの「ひきこもり」の定義を私はちゃんと把握していないのでその意味では間違っていると思うけれど、言葉本来の意味でのほぼ「ひきこもり」を送っていることには間違いない。
「明るい」という形容詞を使ってしまっているので、現在いわゆる「ひきこもり」の言葉で対象とされ、そのことに悶々としている若者には大変申し訳ないけれど、「明るい」という形容詞は相対的なものでしかないので、あくまで個人的な見解ということでご理解いただきたい。
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私の場合、もうほぼ老人(プチ・シニア)だし、結婚も(一応)しているし、仕事も30年以上はしていたし、自ら選んでこういう生活をやっているので、外にでると吐き気がするとか、他人の顔を見ると吐き気がするとか、そういう病的な状態ではないではない。出なきゃならない時は出られる、億劫だけど。
それより何より、よく言われる「若者」のひきこもりと一番違っていると思う点は、
未来がない
っていうこじゃないかな、いい意味でも悪い意味でも。
そして、「未来がない」ということは「将来を案じなくてすむ」っていうことでもある。「ま、そのうち死んでしまうんだから・・・。」
若者にはまだ50年以上の人生が残されているから「可能性」「夢」だって本人は気づかなくても確実にあるだろうと思うけれど、私などはもうあと10年ほどしか残されていないから「可能性」も「夢」もへったくれもない。
その代わり、といっちゃなんだけど、「不安」も少ない(ゼロじゃないよ、もちろん)。
よくメディアで取り上げられる「老後の不安」っていうのがある。あれが私はよく分からない。老後に月ん十万かかるとかって、脅される。確かに月に何回か旅行に行ったり、美味しいものをガンガン外食したりすれば、そうかもしれないけど、私の実感からすれば、10万ちょっとで生活できなくはない。もちろん、欲望を抑えることは必要だけれど。
私も給料をもらっているうちは物欲が強い方だったからいろいろ無駄なものも買ったし、ちょっといい値のするレストランで食べたり、海外旅行にも行った(バックパッカーだけど)。
ただ、今みたいに収入もなく、少ない貯金を食いつぶして生活するようになったら、うまい表現が見つからないけど、欲望をうまく御することができるようになった気がする。欲望自体がなくなったわけじゃないんだけど、支配はされなくなった、そんな感じだ。
病気の不安っていうのも私にはあまりない。個人的には人間50年以上生きたらほとんど生を全うしたって言っていいと思っているので。だから今は人間ドックにも行かない。あのシステムはどうも気に入らない。以前は半ば強制的に受けさせられたけれど、不安を煽られるだけでほとんどメリットは感じなかった。高いし。
再検査の指示を無視して、そのまま翌年の人間ドックでその部分が異常なしと診断された時には、なんか賭けに勝ったような気にもなった。すがすがしくはなかったけれど。
そんな訳で、私は、明日のことを考えず、毎日犬を散歩に連れて行き、録り溜めた映画やドラマを見、ギターを弾いたり、ピアノを練習したり、そんなこんなで毎日が過ぎていく。
これを「明るいひきこもり生活」と呼ばずしてなんと呼べようか。
まぁ、実際のところ、他人に会う機会がなくなるとと、極端にストレスが減る。その状態を「明るい」と表現しているだけかもしれないけどね。
おまけ。
ひきこもりは、英語で”hikikomori” らしい。Oxford Dictionary of English にも載っているらしい。実際にネイティブ相手に使って通じるかどうかは別の話だと思うけど。以下のリンクに詳しく載っています。
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