プチ・シニアの明るいひきこもり生活

村上春樹から遠く離れた地平で、何の因果かワーゲンに乗っている

      2015/08/30

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 ロンドンの書店でで村上春樹のサイン会に400人が行列を作ったというニュースをやっていた。400人が多いか少ないかは別にして、たしかに欧米では人気があるって実感している。

というのは、以前プラハでウォーキング・ツアーというのに参加した時に、私が日本人だと言うと、ほとんどの参加者が「村上春樹の本を読んだよ」って言っていたからだ。

 日本人と聞いて、まず「村上春樹」って頭に浮かぶっていうのにちょっと驚いた、海外で人気があるとは聞いていたけれど。まぁ、サンプルが少なすぎるから、断言はできないけれど。
 ちなみにイギリス人の友人は「え、日本人で一番有名な作家はカズオ・イシグロでしょ」、って断言していた。そうなのか・・・?

 というわけで、村上春樹のことを書こうと思う。

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 まず自慢話。

 私は村上春樹の作品を読んだ読者としては一番早い人間の一人だということだ。だって、「風の歌を聴け」が新人賞受賞作として載った「群像」を発売日に買って読んでいるから。

 当時、不真面目な学生だった私は、昼ごろ起きだし、近くのパン屋で昼食を買い、近くの本屋でその日発売の雑誌を買うのが日課だった。雑誌中毒だったために、ほとんど毎日が何かしらの雑誌の発売日だった。「群像」のような文芸誌、「ロッキン・オン」のような音楽雑誌、「映画芸術」のような映画雑誌、「宝島」のようなサブカル系の雑誌、それとマンガ。そんなものを片っ端から読んでいたのだ。思えば、人生で一番活字を読んでいた時代かもしれない。
まぁ、実利的な意味では何も私の人生にはもたらさなかったけど。

 下宿(!)に戻った私はパンをお頬張りながら、今買ったばかりの雑誌類を読みふけった。「風の歌を聴け」が掲載された「群像」も私はそうやって発売日当日に読んだのだ。

 最初は、随分「軽い」小説だなぁ、って思った。Tシャツのイラストは載っているし、ビーチ・ボーイズの曲が載っているし。当時、大江健三郎の初期作品のような「重い」作品が好きだった私から見ると、そう思えたのだ。
 記憶では、選考者の中では「吉行淳之介」が一番彼を買っていたと思う。

 少しして、気になって読み返してみた。そして、ハマった。

 この作品が大傑作だとは思わなかったけれど、「私のための本」だとは思った。世間の評価とは関係なく、この本は自分にとって重要な本だという確信をもった。それから、何度も読んだ。半年後に「1973年のピンボール」が出て、同じように何度も繰り返し読んだ。暫くの間、この2冊しか読まない日が続いた。

 当時、今では信じられないけれど、村上春樹は一般的な知名度はゼロに近かった。芥川賞をとらなかったというのも大きかったかもしれない。
 単行本が書店に並んだ時、私はそのすべてを買い占めてたい欲望にかられた。なるべく他の人に読んで欲しくなかったのだ。「私のための本」を「私だけのための本」にしたかったのだ、たぶん。

 随分たってから、同じような思いをした人が大勢いたことを知った。私と同じように隠れるかのように村上春樹を読んでいたのだ。

 当時付き合い始めたばかりの彼女に「風の歌を聴け」の初版本をプレゼントした。つまり、私を理解するのに必要だと思ったのだ。読み終わった感想を私に聞かれて、彼女はちょっと困った顔をした。たぶん、あまり面白くなかったんだろう。それから少しして私は彼女と別れた。「風の歌を聴け」の初版本は戻ってこなかった。思い出す度にちょっと悔しい感じがする。
 と、ずっと思っていたのだけれど、手元に残っている本を見たら初版だった。彼女が返してよこしたのか、買い直したものも初版だったのか、今では思い出せない。

「風の歌を聴け」の中にこんなフレーズがある。

「必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」

 私はそれから、ある意味、「風の歌を聴け」をものさしにして世の中を眺めるようになった。以前に比べてずっと生きやすくなった気がした。

 と長々と書いてきたけれど、しばらく前から村上春樹の本は読まなくなった。

 よく無名ミュージシャンがメジャーになった瞬間に、それまでのファンが離れていくっていうのがあるけれど、私の場合は少し違う(と思う)。理由ははっきりしている。私が好きなのは「デタッチメント」を志向していた頃の村上春樹だからだ。ある時期から、おそらく、地下鉄サリン事件の後から、彼は「コミットメント」の志向するようになった。つまり、社会と距離をおいて生きるというスタンスから、より社会と関わっていく、というスタンスへの変化した。この変化を私は理解できるけれど、自分がそんなふうに変わられなかった。デタッチしたままなのだ。だから、私は村上春樹の新作が出ても読まなくなってしまった。

 勘違いしてほしくないのは、昔の作品が良くて、今がダメだと言っているわけではない。私が彼の作品を「自分のための本」だと思える時代が終わったということだけのことなのだ。

 そんな訳で、最近の私の生活の中で村上春樹という存在が占める位置は限りなく小さい。培った精神性と言う意味ではもちろん今でも大きいのかもしれないけれど。

 それより、面白いのは、何の因果か、今私はフォルクスワーゲンに乗っている。今はビートルと呼ばれるけれど、当時はワーゲンと呼ばれていた車だ。
 空冷だから、もちろん、ラジエーターはついていないけれど。(笑)

 そんな訳で、私は今、そこそこ健康な妻と5才のトイプードルと、見かけはボロボロの割によく走るフォルクス・ワーゲンを抱え、あまり悩みのタネもなく生きている。

 ★補足

 ワーゲンの「ラジエーター」ネタは村上春樹ファンの間では有名なので、さらっと書いてしまったけれど、知らない人のために念の為に書くと、「1973年のピンボール」の中で、「すぐにラジエーターが壊れるワーゲン」と言う表現があった。実際は当時のワーゲンは空冷式なので「ラジエーター」はついていなかった。村上春樹自身も後に間違いを認めていたと思う。
 個人的には、取り立てて言うほどの間違いではないと思っていたけれど、「村上春樹全作品」所収の「1973年のピンボール」では、なんと「ラジエーター」が「エンジン」に書き直されていた!
 間違っていても「ラジエーター」の方が良かったと思うな、私は、言葉の響き的に。


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